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[214] 諒 [♀:20-29] 2024/04/06(Sat) 22:55
名称・地域《例:S医院(横浜)》⇒《K病院(千葉)》 母は若い頃看護師をしていたので、我が家には発泡スチロールに入ったガラスの浣腸器とグリセリンがありました。子供の頃よくその浣腸器にお世話になりました。 中学の時、バスケ部で便秘だと練習中よく腹痛になりました。母に浣腸をしてもらうのは恥ずかしくてイヤでしたが選手になりたくて、何日も出ない時はその浣腸器で浣腸してもらい学校へ行きました。2年生になり下腹部に毛が生えてくると、母に浣腸をしてもらうのはすごくイヤでした。決まって母はブリーフを太股まで下げ、隙を見て僕の下腹部をのぞき込み、シャツを捲り「毛が生えてきた」「濃くなってきた」とからかうのです。 あるとき学校を遅刻しても病院へ行きたいといったら、察したのかお金をくれました。僕は急いで自転車で遠くの病院へ行きました。看護師さんはお尻の部分だけブリーフをクルリと下げて使い捨ての浣腸をしてくれました。毛やアレを見らなかったのがよかったです。慣れて時々行くようになるといつもの看護師さんは、すぐに出さないように肛門に脱脂綿をあてて押さえながらバスケや好きな女の子の話を聞いてきました。その頃、僕は足回りがよく女の子からも注目されていたので、自分でもその気になっていました。でもお尻丸出しで好きな女の子の話をするのは恥ずかしく、また浣腸の効きめで出したくても出せないせつなさで何ともいえない気持ちになっていました。懐かしくも恥ずかしい思い出です。
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