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ある回顧録から−昭和30年頃 投稿者:浣腸のある風景 投稿日:2017/05/04(Thu) 09:37 No.812

私は家の事情で9歳の時内科の開業医をしていた祖父に預けられ、11歳までの2年間をそこで過ごした。
医院は家とは別の建物で、祖父は医院の2階にある一室を私の部屋として用意してくれた。だが医院内に立ち入ることは固く止められた。
地方の小さな町の一医院だったが訪れる人は多く、半分は子供を連れた母親だったと思う。
学校から帰り宿題をしていると下から子供の泣き声がよく聞こえてきた。痛い注射でもされたのかしら・・・、私はかわいそうと思っていた。

11歳の初夏のことだった。土曜日で学校から帰って昼食がほとんど食べられなかった。朝からなんとなくだるく、軽くだが腹痛もあった。
部屋に戻ってしばらくすると祖父が入ってきた。祖母が心配したらしい。祖父は「どうした? 腹でも痛いか?」と聞くので思わず「うん」と言ってしまった。
祖父は私を寝かせると立膝をつかせ腹部に手を当てた。「今日ウンチした?」 私は首を振った。
「昨日は? おとといは? そうか・・・、ケイちゃん治してくれるから。言うこときいてな」 そう言うと祖父は出かけていった。
ケイちゃんとはこの医院の若い看護婦である。薬でも飲ませてくれるのだろう・・・、そう考えているとケイちゃんが入ってきた。
ケイちゃんはトレイのようなものに手にしており、その上の一つに私の目は釘付けとなった。見たことのない巨大な注射器があったのだ。
「○ちゃんお腹痛いんだって? 先生がウンチ溜まってるからだって。ちょっとお腹診せてね」 ケイちゃんは私を仰臥させるとズボンとパンツを剥ぎ取った。
私は注射器が気が気でなく、下も裸にされ泣きたい気分になっていた。ケイちゃんは入念に私の下腹部に手を当て、私は時折身をよじった。
この時祖母が入ってきた。下半身を露出している私を見た祖母は「あら、いけないところに来ちゃったようね。○ちゃん、どう?」
ケイちゃんは心得たように言った。「○ちゃん通じが無いんですよ。これから浣腸しますので」
「あらそう、悪いものでも食べさしちゃったかと思ったわ。じゃあしっかりお願いね」そう言うと祖母は出て行った。
「○ちゃん、お尻から薬入れるからね。すぐ終わるからうつ伏せになって」 言われてうつぶせになるとケイちゃんは私の股を大きく拡げた。
こうして私は昼食を共にしたことさえある顔見知りの若い看護婦に浣腸されたのである。羞恥やら悔しさやらでポロポロ涙がこぼれてしまった。
トイレから戻ると「ごめんね酷い事して、今のはカンチョーといってお腹を綺麗にする治療なの。お腹もう痛くないでしょう?」。
しゃくりあげる私にケイちゃんはどこか愉しそうだった。
後日ケイちゃんは祖父に報告したらしい。祖父は「なんだ、浣腸されて泣くなんて女の子みたいだな、○ちゃんは」と笑っていた。

この一件以来浣腸に特別な思いを抱くようになり、下から子供の泣き声が聞こえるたびにこう思った。「また誰かケイちゃんに浣腸されたのかな・・・」
そしてなぜか分からないが再びケイちゃんに浣腸される自分を想像するようになった。泣いて嫌がる私に容赦なく浣腸するケイちゃん・・・。
大人になった今もそれは変わらない。

Re: ある回顧録から−昭和30年頃 - れいみ   2017/05/10(Wed) 17:17 No.815
浣腸のある風景様の回顧録を読んで、幼い頃の思い出が思い出されました。

私が幼い頃の夕べや夜眠る前、母が手に何かを持ち、姉や兄の部屋へ入っていくことが時折あり、暫くすると部屋の中から母の諭すような声が聞こえました。やがて、いつもは年下の威張っている姉や兄の、ぐすぐすと泣いている声がよく聞こえてきました。中を覗くことはしませんでしたが、「我慢しましょうね」「お腹の力を抜きなさい」という母の声が聞こえ、マッサージでもしているのかと思い、何が起きているのか気になっていました。

私が小学校5年生の春の事です。高学年となりクラス替えを経て、新しいクラスに慣れず、お腹と頭が痛くなり早退しました。帰宅後の私の顔色を見た母は、「お通じはあるの?」と聞きました。4日前から出ていなかった私が首を振ると、母は「そう、便秘しているのね」と言いました。


私が自分の部屋へ戻ると、ほどなくして母が部屋へやってきました。母のその右手には…そう、イチジクカンチョ―が握られていたのです。

「お通じしたらすっきりするから、浣腸しましょうね」
これまで、噂でしか聞いたことがなかった浣腸。それをこれからされることが決まったと同時に、姉や兄がされていたことが浣腸だとわかりました。

私は思わず泣き出してしまい、「ウンチするから」と泣きながら母に言いましたが、「いいえ、子どもなんだから、カンチョ―すればすぐ出るわよ」「4日も出ていないならカンチョ―でしっかりお通じしましょうね」などと言われ、母の言うことに逆らえませんでした。

その後はベッドでキュロットと下着を脱がされ、涙の溢れる目を擦りながら、母に横向きの体勢でイチジク浣腸をされました。

身体の変化もあり、恨めしくもその頃から体調不良で便秘がはじまり、たびたび母から家でイチジク浣腸をされることになります。
Re: ある回顧録から−昭和30年頃 - れいみ   2017/05/15(Mon) 16:23 No.817
続きです。

その後も、私はお腹の調子が悪くなり、小学校を早退することが時々ありました。

保健の先生から担任の先生へ私の様子が伝えられると、自宅にいる母に連絡がいきます。

保健室で待っている間、私の頭によぎるのは、母からされるであろう「イチジク浣腸」。

このころ、浣腸は、我が家では避けられない関門となっていたのです。

保健室でなんともいえない表情で帰り支度をしている私を見て、私が何をされるか察したのか「おうちに帰ればすぐにすっきりするから大丈夫よ、ね」そう言って私の肩に手を置き、保健の先生は笑うのでした。

自宅へ戻りランドセルを部屋に置くと、病状を先生から聞いた母が部屋へ入ってきて、「またお腹が痛くなったのね、少し、カンチョ―しましょうね」と、薄桃色のイチジク浣腸と脱脂綿を手にして私に諭すのでした。

たいてい、その時にはすでに4,5日はお通じがないのが通例でしたから、「今からする」「出るからカンチョ―しなくてもいい」という言い訳は通用しませんでした。私はいやでうっすら目に涙を浮かべながらもこっくりとうなずき、部屋のベッドで母からイチジク浣腸をされる支度をするようになっていました。

そんなある日、母が友人と電話で話している声が聞こえてきました。

高校三年、二年となった兄と姉は、今は母から浣腸されなくなったようなのですが、気の強い兄と姉は数年前まで、母に対して口答えをすることがままありました。母はその時のことを、友人に話していたようです。

またちょうどその時期、夜になるとなぜか、母が兄や姉の部屋へ入っていくことが多かったと記憶しています。

「本当は便秘薬を飲ませてもよかった時もあったんだけれど、イチジク浣腸されるってわかると大人しくなるのよね、子どもって。だからつい、お腹の具合が悪いとわかるとお尻を出させてカンチョ―することにしていたの」

と母は友人に電話で話し、笑っていました。

つまり母は、お通じをつける便秘治療はもちろんですが、生意気な兄と姉を大人しくさせるための道具としても、時折二人にカンチョ―していたようなのです。

私は性格も大人しく、浣腸も最初の頃から「出ないのだから仕方ない」とあきらめて大人しくされていましたが、それを聞きつけた私は、何か複雑で、なんともいえない気持ちになりました。
Re: ある回顧録から−昭和30年頃 - しょうこ   2018/05/18(Fri) 14:36 No.1467
私も子どもの頃、自宅でされた経験があります。

小学校1年生の時、5日間ほどお通じがなかったことがありました。あるとき家にいたらお腹が痛くなり、しばらくトイレにこもっていました。が、どうしても出ません。

お腹の痛みはおさまったのですがこんなことは初めてでしたし、子どもなのでごまかしたり隠したりできず、自宅にいた母親に「ウンチが出ない」と、正直に相談してしまいました。

「どれくらい出ていないの?」と聞かれたので「5日間くらい」というと、「もし1週間出なかったら、カンチョーだね」と言われました。小学1年生だった私は浣腸の経験がなかったにもかかわらず、なんとなく理解していました。驚いて「カンチョー!?」と聞くと、「便秘のときはお尻に浣腸するとすぐに出るの。くすぐったいしいやだと思うけど、出なかったらカンチョーしかないわね」と、こともなげに母は言うのでした。

私は母親の発言に、子どもながら強いショックを受けました。そして、1週間になる前になんとかして出そうと頑張りました。

が……それから2日経っても出ませんでした。学校から帰ってきてトイレに入っても、結果は同じです。トイレから出ると、母親に「どう?出た?」と聞かれました。

私が首を振ると、「カンチョー買ってあるから、今からしようね」と言われました。私は泣きながら抵抗しましたが、布団の上に寝かされ、スカートと下着を下ろされて仰向けさせられました。母は私のお通じがないことを予測していたのでしょう、子ども用の20gのイチジク浣腸を用意していたのです。

「明日出るもん」と強がっていた私でしたが、「1週間出なかったら浣腸と言ったでしょう」と厳しく言われ、お尻にワセリンを塗られ、母はイチジクカンチョウの箱を開け、ビニールを破り、キャップを外しました。

「いやだと思うけど、ちょっと我慢よ。お口をあけていなさいね」と、肛門を開き、イチジク浣腸を入れました。

「いやだとわかっているならしなくていいのに……」私はそう思いながら、恥ずかしさとお尻から入ってくる先端のこそばゆさ、液体の気持ち悪さでムズムズしていました。その後は母にしばらく脱脂綿でお尻を押さえられ、トイレに駆け込みました。

終わったあと、母から「出てよかったわね。便秘のときはカンチョーが一番なの。くせにもならないのよ」と優しく言われ、便秘が解消されたことはよかったですが、母に便秘を正直に言ってしまった自分をうらめしく感じたのでした。
Re: ある回顧録から−昭和30年頃 - 検便の思い出   2018/06/24(Sun) 11:15 No.1561
私も小2の時自宅でイチジク浣腸をされたことがあります。
もう50年近く前の話ですが学校で健康診断があり、その項目の一つに検便がありました。今では考えにくいでしょうが
その頃の検便は小さな容器に便そのものを入れてくるというものでした。
貰ってきた検便・検尿の容器や注意書きを母に渡すと「はいはい」と心得た様子で「今日ウンチ出そう?」などと訊かれ、
私は無意識に「出ないよ」と言ってしまいました。その頃の私の便通は3日おき程度で「ふ〜ん、そう」と母。
結局提出日の前日まで採取できませんでした。その間出たものの取らずに流してしまったことも1回あったと思います。

夜、検便が用意できていない事を母に悟られました。
「検便はどう、できた?」「・・・・」 「明日が出す日でしょ」「忘れた人は次の日でもいいって先生が」
「ダメよ、明日みんな出すんだから。・・・ ウンチでない? 浣腸すればいいから」

初めての浣腸が検便のためなんて自分だけでしょうね。翌年からは検便はセロハンを使用する方式に代わりました。
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